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仙台高等裁判所 昭和32年(ネ)63号 判決 1959年10月29日

控訴人(被告) 五所川原農業委員会

補助参加人 長尾一郎・青森県知事

被控訴人(原告) 開米耕夫

原審 青森地方昭和二七年(行)第一九号(例集七巻一二号274参照)

主文

原判決中被控訴人勝訴の部分を取り消す。

被控訴人の請求を棄却する。

訴訟費用は第一、二審とも被控訴人の負担とする。

事実

補助参加人長尾一郎は、主文同旨の判決を求め、被控訴人は、控訴棄却の判決を求めた。

当事者双方の事実上の主張、証拠の提出、援用及び認否は、

被控訴人が、(一)本件農地買収令書は青森県知事から補助参加人長尾一郎にあてて昭和二三年三月二〇日に発せられた。(二)本件農地売渡通知書は昭和二六年一月六日控訴人に到達したが、控訴人は本件農地の分筆ができないとてこれを被控訴人に交付しなかつた。(三)補助参加人長尾一郎の本件農地買収計画に対する異議申立は、申立期間経過後にされたものであり、その申立遅延につきゆう恕すべき事由はなかつた。(四)本件農地買収計画書及び売渡計画書の縦覧は三好村農地委員会事務所でされた。右は、昭和二二年法律二四一号で改正の自創法六条所定の村の事務所にされたものとして違法でない。(五)補助参加人長尾一郎主張の本件農地買収計画が不適法であり、買収の対象たる農地の範囲が特定していないとの事実は否認する。すなわち、被控訴人は補助参加人長尾一郎から鈴方二四番田七反九畝一歩のうち六反四畝一一歩を賃借しており、本件買収計画はそのうちの二反五畝歩について定められたのであるから所論の違法はない。と述べた。(証拠省略)

補助参加人長尾一郎が、(1)補助参加人長尾一郎のした本件土地買収計画に対する異議の申立は、期間内になされたものである。仮りにそうでなかつたとしても、その申立遅延につきゆう恕すべき事由があつた。すなわち、本件農地買収計画は同計画樹立当時その公告、縦覧がされなかつたから、長尾としてはこれを知るに由なかつたのであるが、青森県農地委員会と同県農地部の査察によつて、三好村農地委員会が青山惣吉会長時代(昭和二三年一月一八日から昭和二四年四月二一日まで)に樹立した農地買収計画には改さん、取消などの不正行為のあることが判明したので、同農地委員会は、その間の買収計画のうち正当なものについて昭和二四年五月九日に公告し同日から同月一九日までこれを縦覧に供しこれに対する異議申立期間を三箇月と定めた。長尾は、同年七月一三日偶然にこのことを知り、同月一五日本件農地買収計画に対する異議の申立をしたのであるから、右は、期間内にされた適法なものである。仮りに、右異議の申立が縦覧期間の最終日から五〇余日を経過してなされているところから期間経過後の申立となるとしても、前記のとおりの事情であつたから、その申立遅延にはゆう恕すべき事由があるということができる。(2)本件農地買収計画はその公告、縦覧がされていない。

仮りに、甲第一〇号証の二のような公告・縦覧がされたとしても、右は当時施行の自創法六条五項、同法施行令三七条に違反する無効なものであるから、これによつては、適法有効な公告、縦覧がされたものということはできない。それゆえ、本件農地買収計画を取り消した控訴人の処分は、この点からしても正当である。(3)本件農地買収は不適法であり、また、買収農地の範囲は特定されていない。すなわち、丙第六号証(第六次買収計画書写)の原本によると、五所川原市大字鶴ケ岡字鈴方二四番田七反九畝一歩のうち七反歩についての買収計画は取り消され、うち二反五畝歩について買収計画が樹立されたように記載されているが、前者と後者とのインキの色、筆跡の違いからみて、後日ほしいままに前者を抹消して後者を記入したものであつて、後者について適法な買収計画は樹立されなかつたものと認めるべきものである。仮りに、前記二四番の土地について買収計画が樹立されたとしても、その面積は前記のとおり七反九畝一歩であるのに、甲第四、六号証によれば買収の対象となつたのは七反歩と二反五畝歩(もつとも、甲第六号証によると七反歩の分は抹消されている。)とであつて、その合計面積は九反五畝歩となつて本件農地の面積を超過するから、買収の対象地の範囲はいずれも不明といわざるを得ない。仮りに買収が七反歩か二反五畝歩かのいずれかの一口のみであつたとすれば、右はいわゆる一部買収であるのに、その範囲は特定されていない。と述べた。(証拠省略)

理由

一、本件農地(原判決別紙目録記載の土地)がもと補助参加人長尾の所有に属し、被控訴人がこれを賃借耕作していたこと、控訴人(当時三好村農業委員会)が昭和二三年二月二〇日本件農地が旧自創法三条一項二号所定の保有面積一町三反歩を超える小作地として買収計画を樹立したこと、補助参加人長尾が昭和二四年七月一五日控訴人に対し本件農地がその保有面積内の小作地であるとして前記買収計画に対して異議の申立をし、控訴人がこれを容れ同年八月一五日右計画を取り消したこと、は当事者間に争いがない。

二、被控訴人は、前記補助参加人長尾の異議申立は期間経過後になされたものであると主張する。

旧自創法七条によれば、農地買収計画について異議のある農地の所有権者は、同法六条五項所定の縦覧期間内に限つて市町村農地委員会に異議の申立をすることができるとされていた。そこで、まず本件農地買収計画の縦覧がいつされたかについて考えてみるに、成立に争いのない甲第一〇号証の二には、本件買収計画は昭和二三年二月二一日に公告され同書類は同日から同月末日まで三好村農地委員会事務所において縦覧に供された旨記載されているが、成立に争いのない丙第四号証の一、当審証人長尾清美、工藤正雄、沢田峰太郎、一戸栄、小山内健之助の各証言を総合すると、右甲第一〇号証の二は後日にいたつてほしいままに作成されたものであることがうかがわれるから、これをもつてしては本件農地買収計画について適法な公告、縦覧があつたものとは認めがたく、この点に関する当審における被控訴人本人尋問の結果はにわかに信用しがたく、他に本件農地買収計画が樹立された当時その公告、縦覧がされたことを認めるに足りる証拠はない。

そして、前記丙第四号証の一、成立に争いのない同号証の二を総合すれば、昭和二四年四月一八日青森県農地委員会、青森県農地部査察員の査察の結果、本件農地買収計画について適法な公告・縦覧がなされなかつたことが判明したので、三好村農地委員会は、本件農地買収計画を昭和二四年五月九日に公告し同書類を同日から同月一九日まで縦覧に供したことが推認される。

参加人長尾は、本件農地買収計画に対する異議申立期間を三箇月と定めたと主張するが、これを認めるに足りる証拠はない。

してみると、補助参加人長尾の異議申立は、前記縦覧期間を五〇余日も経過してされているから、期間経過後の申立といわなければならない。

三、そこで、補助参加人長尾の異議申立遅延についてゆう恕すべき事由があつたかどうかについて検討する。

旧自創法六条五項は、市町村農地委員会は、農地買収計画を定めたときは、遅滞なくその旨を公告し、かつ公告の日から一〇日間市役所又は町村役場において同書類を縦覧に供しなければならないと規定しているから、本件農地買収計画の公告縦覧はそれが樹立された昭和二三年二月二〇日後遅滞なくされるべきものであつたことはいうまでもない。しかるに、同計画の公告、縦覧は前認定のとおりそれが樹立された時から一年二箇月ほど経過してされた異常なものであり、補助参加人長尾にとつてはまさに意外な時にされたものといい得られるから、同人が当時これを知らなかつたとしてもあながち無理からぬことということができるであろう。そして、原審証人長尾角左衛門、当審証人長尾一郎の各供述によれば、補助参加人長尾は、前記異議申立の数日前に偶然にも本件農地について買収計画が定められてその公告、縦覧がされたことをはじめて聞知したので、直ちにこれに対して異議の申立をしたものであることが認められるから、この申立遅延にはゆう恕すべき正当事由があつたものということができる。

よつて、控訴人が右の申立を受理したのは相当であつたものというべきである。

四、被控訴人は、本件農地買収計画は適法なものであるのに、控訴人はほしいままにその後の事情を理由にこれを取り消したのであるから、同取消処分は法律上その効力を生ずべき理由がなく、また、控訴人は確定した本件農地買収計画を取り消し得べき法規上の権限を有しないから、控訴人のした本件取消処分は無効であると主張する。

しかし、本件農地買収計画の取消処分は、さきに認定したとおり買収計画が補助参加人長尾の保有小作地面積にくいこんでされた違法があるとして(その当否はしばらくおく。)されたのであつて、被控訴人主張のようなその後の事情を理由としたものではなく、また、本件農地買収計画は昭和二三年二月二〇日に定められ、それが取り消されるまで一年二箇月を経過していたのであるが、本件に現われた全証拠によつてもその間に本件土地についての買収処分はもとより前認定の公告、縦覧のほかに特段の買収手続の進展があつたことを認めることができない(成立に争いのない甲第九号証をもつてしてはこの認定を左右しがたく、また、成立に争いのない甲第一号証、第五、六、七号証、原審における被控訴人本人の供述によると、三好村農地委員会は昭和二五年に本件農地について売渡計画を定め、青森県知事が売渡通知書を発行し被控訴人が対価の支払いをしたことが認められるが、これらはいずれも前記取消処分の後のことであり、しかも、原審証人一戸栄の証言、成立に争いのない甲第三号証、乙第一、二号証によれば、これらの手続は三好村農地委員会がすでに本件農地買収計画を取り消していたことを忘れ誤つて売渡計画を定めたことに端を発したもので、その後これが取り消されていることが認められるから、これらの事実は前認定を妨げるものではない。)ので、本件農地買収手続はいまだ第三者に対して利害関係を及ぼす程度には進展していなかつたものと推認されるから、三好村農地委員会としてはそれらの点を顧慮することなく自由な判断によつて本件買収計画を取り消し得たものというべく、したがつて本件取消処分が被控訴人主張の事由によつて無効であると解せられない。

五、本件農地買収計画は補助参加人長尾の小作地保有面積を侵害するものであるかどうかについて考えてみる。

成立に争いのない甲第四号証、原審証人一戸栄、長尾角左衛門(一部)、一戸慶吉の各証言を総合すると、本件農地買収計画が定められた後に、補助参加人長尾及びその同居の親族たる長尾角左衛門、長尾二郎所有の五所川原市内の農地が第七次買収で六反三畝歩、第八次買収で三反五畝一八歩、第一二次買収で五反一一歩、第一五次買収で二反六畝五歩、第二二次買収で三反五畝一六歩(合計二町一反二〇歩)それぞれ買収されたことが認められ、これに反する原審証人長尾角左衛門の証言の一部を信用しがたく、他にこの認定を左右すべき証拠はない。そして、成立に争のない丙第七号証に当審証人長尾一郎の供述を総合すると、右買収土地のうち第二二次買収で買収された土地のうち一反四畝二〇歩(鈴方二四番の二田四畝一五歩、同番の三田六畝七歩、同番の四田三畝二八歩)は小作地であることが認められるが、その他に小作地があつたことを認めしむべき証拠はなく、また、本件農地買収計画樹立後前記各買収までの間に右の者等が適法に農地の所有権を取得した等の特別事情の存在したことを認めしむべき証拠も存在しない。してみると、他に補助参加人長尾及びその同居の親族が保有面積を超過する小作地を所有していたことの認められない本件では、本件農地買収計画の目的となつた二反五畝歩の農地のうち一反四畝二〇歩を超える部分については保有小作地面積にくいこんで買収計画が定められたものと断ずるのほかはなく、これに反する原審証人一戸栄の証言は採用しがたい。そして、本件農地買収計画が一筆の土地について一回になされたものであることは弁論の全趣旨に照らして明らかであり、本件買収計画の定められた第六次買収で補助参加人長尾及びその同居の親族に対する関係で農地買収計画が定められたのは本件の一件のみであつたことは、前記甲第四号証によつて明らかであるから、控訴人が本件農地買収計画を補助参加人長尾関係の保有小作地にくいこんでした違法があるものとしてその全部について取消をしたことは違法とはいえないものと考える。

六、かりに、本件買収計画が定められた後に、その買収計画が定められた前記合計二町一反二〇歩が補助参加人長尾及びその同居の親族らの所有する小作地であり、したがつて本件農地は補助参加人長尾らの保有することのできる面積を超える小作地であるとしても、前記甲第七号証、丙第七号証、成立に争のない丙第二、第五号証に当審証人長尾一郎の供述を総合すると、大字鶴ケ岡字鈴方二四番田は反別七反九畝一歩であつたが、補助参加人長尾は昭和二四年七月二三日これを同番の一田六反四畝一一歩、同番の二田四畝一五歩、同番の三田六畝七歩、同番の四田三畝二六歩の四筆に分筆したこと、被控訴人が補助参加人長尾から小作している部分は、右二四番の一田六反四畝一一歩であるのに、本件買収計画にあげられた二反五畝歩は、そのいずれの部分であるか、全く不明であつて、その範囲を確定することができないこと、以上の各事実が認められるから、本件買収計画は、その対象が特定しない無効のものといわなければならない。そうすると控訴人のした本件買収計画の取消は違法ということはできない。

七、そうすると、被控訴人の請求はその余の判断をするまでもなくその理由のないことが明らかであるからこれを棄却すべきものである。

なお、補助参加人長尾は本件農地買収計画(原判決別紙目録記載の農地部分に対して三好村農地委員会が昭和二三年二月二〇日に定めたもの。)は適法に定められなかつたかの如く主張するが、本件弁論の全趣旨、前記甲第四号証、成立に争いのない甲第一一号証、丙第八号証等によつて適法に定められたことを認めることができる。

よつて、その余の判断を省略し、民訴三八六条、九六条、八九条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判官 斎藤規矩三 鳥羽久五郎 羽染徳次)

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